感覚として季語をとらえる
初学の段階では “ことばとしての季語を覚える” のに懸命ですが吟行で句を詠む習慣が身についてくると “感覚として季語をとらえる” という事が理屈ではなくて実感として理解できるようになります。例えば今は秋だから…と頭で考えて「秋風や」と詠むのではなく吹く風に佇んでふと秋を実感したのなら「風は秋」という表現になるはずです。
「秋の山、秋の牧」と「山は秋、牧の秋」との微妙な違いがわかるでしょうか。後者の表現には佇んでいる作者の存在が感じられます。知識として覚えた季語を頭で考えて作句している段階ではこのように詠むことはできません。季語の本質を理解しかつ実感としての感興が身についていなければ感動した実景を正しく伝えることはできないからです。
まず季語を見つけましょう
初めて吟行される初心者には「まず季語を見つけないさい」とアドバイスしています。季語が見つかればそこを起点として連想を広げていけるからです。
吟行になれてくると一期一会の出会いを写生して季語はあとづけになるというケースも多いです。授かった感動に対してどのような季語を斡旋するのが最もふさわしいのかとあれこれ推敲するプロセスもまた愉しいものです。けれども一句一句を完成させようと熟考していたのでは多作できません。吟行の秘訣は速写(クロッキー)です。完成しなくても良いので心が動いた情景をどんどんメモしていきましょう。それをあとから推敲して完成させるのです。
吟行の昂ぶりが残っているときには良い句だと思っても一日置くと色あせてしまう作品もあります。逆に投句しないで句帳に残っているものの中に推敲することで玉に変わる作品もあります。句会が済んだらおしまいではなくて句帳に残った作品も含めて丁寧に推敲する習慣を身に着けましょう。