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先人の言葉を真似る
俳句の巧拙は語彙力次第…とよく言われます。言葉は知識として覚えているだけでは駄目で、必要な場面でごく自然に使えなくてはいけません。どうしたら生きた言葉づかいができるようになるのでしょうか。
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やさしい季語講座
季語は言葉として記憶するだけではなくその季語が備えている本質を知る(体験する)ことが大切です。正しい季語の知識を学ぶためにその基本的な約束事を知ることもまた上達への近道であると言えます。
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俳句作りのエッセンス
俳句を始めると文法や季語を覚えたりさまざまな約束ごとを習得しなくてはなりません。 初学の頃は「感じる」ことよりも「覚える」ことの方が多いものです。けれどもいつまでも知識に傾いた俳句づくりをしているとやがて壁にぶつかって行き詰まり俳句を詠むことが苦しくなってきます。せっかく多くのことを覚えてもそれを活かして「新しい感覚の俳句を創りだす」ことができなければ何にもならないですね。「新しい感覚の俳句を創りだす」ためには「覚える」だけではなく「感じる」訓練がどうしても必要なのです。
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虚子選と青畝選の違い
三千の俳句を閲し柿二つ 子規
私の尊敬する虚子先生と青畝先生は正岡子規の流れを汲む師弟関係になるのですが作風は少し違うところもあります。けれども多くの弟子を導き優れた俳人をぞくぞくと育てられたという指導者としての実績には共通点が多いです。その特徴は作者としての御自身の流儀を押し付けるのではなく
“個性を見出してそれを伸ばす”
という指導法にあります。
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感覚として季語をとらえる
初学の段階では “ことばとしての季語を覚える” のに懸命ですが吟行で句を詠む習慣が身についてくると “感覚として季語をとらえる” という事が理屈ではなくて実感として理解できるようになります。例えば今は秋だから…と頭で考えて「秋風や」と詠むのではなく吹く風に佇んでふと秋を実感したのなら「風は秋」という表現になるはずです。
「秋の山、秋の牧」と「山は秋、牧の秋」との微妙な違いがわかるでしょうか。後者の表現には佇んでいる作者の存在が感じられます。知識として覚えた季語を頭で考えて作句している段階ではこのように詠むことはできません。季語の本質を理解しかつ実感としての感興が身についていなければ感動した実景を正しく伝えることはできないからです。
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