俳人与謝蕪村
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
青空文庫で正岡子規著「俳人蕪村」を読みました。少し読みづらいですがとても興味深い内容です。この中で子規は、俳人蕪村を礼賛し「俳諧を論ずるうえで芭蕉が別格的存在であることは認めるが、やや過分ではないだろうか。俳人蕪村は、決して芭蕉に劣るものではなく、むしろ匹敵する。」と言っています。冒頭に書かれている「緒言」を抜粋してみましょう。
芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべき者たること論を俟たず。この点において何人か能よくこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多き処において、雄渾なる処において、高雅なる処において、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功より得たる名誉を加へて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。
蕪村の名は一般に知られざりしに非ず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村に非ず、画家としての蕪村なり。・・・その没後今日に至るまでは画名かへつて俳名を圧したること疑ふべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。・・・余はここにおいて卑見を述べ、蕪村が芭蕉に匹敵する所の果して何処いずくにあるかを弁ぜんと欲す。
青畝先生にとっての蕪村
一方、われらが青畝師は、句集「正編・青畝風土記」に次のように記しておられます。子規の文章を踏まえた上で青畝師の文章を読むと、俄然蕪村を研究したくなりますね。
芭蕉のことばを借りて月日は旅人である。
六十何年の私の俳歴を顧みたときの実感もそうである。 あわただしいがまさにそうである。
人は生命をもっている。心、主観を忘れるなよ!と浜人は叱った。 大成するには写生の修練が要ると私の指針を修正させた壮年の虚子先生は更にこわい人だった。 紙魚が匂う古本から猿蓑を漁った。芭蕉を知りたいためだが読めぬ字がゴロゴロしていた。 それよりも蕪村は分り易かった。絵を見るように具体的である。
作法は蕪村流に精神は芭蕉追及、写生を旨とする花鳥諷詠は虚子である。 そうと決めたのがわが生涯となった。